あっ!
という間にもう大晦日。今年も今日だけとなりました。もう仕事納めで帰郷している方も多かと思います。こんな誰も見ていないタイミングでええ話をしますよ。
ええ話かどうか決めるのはアナタ次第です。けども。
んで、今年1年を振り返って、目標を達成できたのかどうか評価してみたり、来年の行動目標をブログ記事にしようと思ってたんですが、自分としては公開したからには(言ってしまったからには)やらざるを得なくなるっていうメリットはあります。
けども、暇なら書くかな?って言う程度に切り替えたので、毎年やっていた今年の目標をブログ記事にするのも読んでる人にとっては、余程面白い企画じゃない限りつまらないだろうから、やろうかやらないか迷って保留中です。
さて、前置きは置いといて、今日はみんな大好きお金の話と深い人間身のある話でございます。
なんでこの話するの?それはアフィリエイト収入が伸びない。むしろ減ってるし、数百万円の出費が痛くて、昔のことをふと思い出したからなので。
まず、反省点としてはこれ。ブログの更新頻度の激減とアフィリエイトの収入目標が達成できずというものが、まず真っ先に頭に浮かんできます。
これに関しては、完全に自分の作業をサボっていたのと、稼げないことがわかっているのにやってしまうっていう方向性が悪いのは明確で、ここの修正・改善が全くできてないので増えるわけがないです。これはおって記事ネタにします。
それに追い打ちをかけえるように、数日前からGoogleアルゴリズムの変動でやられたのかアクセス激減中で、アドセンス収入が3分の1になっておりますぷぎゃー。
そんなフトコロがアップアップの状態だった今年。
相方が自動車での交通事故を起こしまして廃車。んで、車を買い替えることになりました。
その後は自分も軽くですが事故りましてトラブりました。
夫婦共々で事故で最悪や!基本パターン外の交通事故で、相手とも警察ともモメまくり!同一方向に進行している右折車と直進車の衝突事故の過失割合ってわかんねぇってば。
それから程なくして20年以上乗り倒した自分の車が故障。
修理できるかと思いきや、通常壊れることがない箇所が壊れたのに加えて、古い車ゆえに部品が全国どこを探してもなくて強制的に買い替えなければならなくなりました。
もちろん、記事にしてしまおうと思ったけども、キャンプする時も就活する時もナンパする時も一緒に連れ添った相棒を亡くしたショックがあまりに凄すぎて、それどころではなかった。
っちゅ~わけで、1年で…というか半年で車を2台も買い換えなければならなくなり、結果、数百万円の出費が出てしまったわけであります。
そんでですね、最終的に何が言いたいかっていうと、お金や投資に関してちょっとシビアになりまして、興味というかこりゃ色々老後のために対策しとかないとダメだなって思うようになり、情報を収集していました。
んで、年末年始でお金のいる時期ですし、お年玉や小遣いに関する私の思い・考えというか、悟りがあってのをふと思い出して、この師走のこの時期にちょっと書いてみようかと思ったっていう話です
@ど長い前置きパート2ここまでwww
歳を重ねるつ連れ、貰うお年玉(お小遣い)の金額がドンドン上がる理由
この時期、クリスマスで出費して『お年玉』で出費と、大人にとってはなんにも嬉しいことがない年末年始の恒例行事。子供にとっては嬉しいことが切りなしといった所でしょうか。
普段顔出しなんてすることもないのに、この時期だけ調子よく家にやってくる子供にはらわた煮えくり返ってる大人げない私なんですが、私は学生が長かったのでいい歳(26歳位まで←クズ)まで貰っていたので、世代交代で仕方がないですね。
お年玉あげる、あげよう、あげなければならない。
特に20歳の成人、社会人、大人になっているにも関わらず、両親や祖父母から貰うお年玉やお小遣い、 結婚してからも親から貰うお小遣いについてもちょっと含めての話です。
お金を貰って嬉しかった自分
遠い昔。かれこれ何十年も前の話になります。
私が高校の時、たまに母方のお爺ちゃんの家に行っていました。特に用事があるわけでもないし、お爺ちゃんに会いたいとかそういった気持ちも多分あんまりなかったと思います。
(このことに気がつくまでは。)
たまに訪問するのも小学生の時からずっと継続していて、小さいときから1万円とか2万円とかくれてたなぁ。高校生になったときには、大体2~3万円とか普通に貰っていました。だいたい爺さんの財布に入っているお金全部って言う感じで。
このときは「うわー!ラッキー!お爺ちゃん大好き!」とか思っていたんですよ。
ま、そうなりますよね。
今時の子供というか、高校生大学生もこんな感じでしょう。なんにも考えずに苦労することもなく、なんでも交換できてしまうお金が簡単にもらえるんですから楽ですよね。
なんにも世間を知らないガキがこれだけの大金をゲットできるんですから。これだけの金額を稼ごうと思ったら、めっちゃ節約したり、バイトも何日もしないとダメな金額です。これを働かずしてこれだけもらえるだから。
今だったら、その苦労とありがたみが分かるから本当に貰えないし貰っても大事に使います。
だから、おじいちゃんに会いに行くことがちょっと嬉しかった。いや、正直言うとだいぶ嬉しかった。
いや、違う。ちょっとオブラートに包んだ。
『お爺ちゃんのところに行くと楽してお金もらえるからめっちゃ嬉しかった。』というのが正直な気持ち。
小学生や中学生でも万を超える金額を毎回貰っていたし、大学になったらその金額もグングンあがってさらに僕の気持ちはヤホーーイ(・∀・)人( ̄ー ̄)人(´_ゝ`)ノワショーイってなっていました。
お年玉の金額も、当時の僕にとってはとんでもない金額だったわけで。誕生日プレゼントもクリスマスもお金をもらっていました。
もらえるお金がドンドン高額なっていくのは、もう高校生だし、もう大学生だし、年齢がいけば出費も多くなるしとか、とにかく僕が大人になるから、年齢に伴って金額を上げてくれてるのだと思っいていました。
僕はアホでした。
正真正銘のクズでした。
両親も高齢になって老いを感じると・・・
そしてある時、じいちゃん家に行っていつものように3万円貰った1週間くらい後、おじいちゃんが入院してしまいました。
結構、重篤な病気でずっと自宅療養していたんですが、この時は大したこともなかったようで、幸いすぐに退院。
入院中、おじいちゃんのお見舞いには家庭の事情で行けなかったので、退院後にすぐに会いに行きました。
そしたらね、1~2週間くらい前に3万円貰ったばかりなのにも関わらず、その日は5万円のお小遣いを貰いました。
『・・・・数週間前に貰ったのに・・・、、、この金額・・・・・。。。』
僕はこの時に初めて気がつきました。
違う。。。 そうじゃない。。。
僕が大人になってきているから、お年玉や小遣いの金額が上がっているんじゃない。 そうじゃないんだ、これはきっと違う。
そう、つまりお爺ちゃんは年齢や病気のこと、自分の体の衰えをヒシヒシと感じていて、いつも自宅にいるだけの生活で活動性も下がっていてお金の使い道がない。
これは自分で持っていても使えないし、自分が死んだ時に残しておいても仕方がない、財産とかイラナイからお金をばら撒いて処分しているんだ、と。。。
愕然としました。
もうすでに死期を悟り、価値のある者を有効に使ってくれるであろう人に分配しているんだ。
その後もお邪魔するたびに、お金をくれるお爺ちゃん。
入退院を繰り返すようになると更にドンドン上がった。
それで調子が悪くなると、やっぱり母親とともにお見舞いに行く。
でも、自分は動けないので当時は元気だったお婆さんにヘソクリを出してこいと言い、僕にお金を渡してくれていました。もちろん、孫の僕だけではなく、自分の娘へも多分、何万~何十万円という金額を渡していました。
『爺さんの家に行く=お小遣いがもらえる』
という図式が頭の中で出来上がっていた自分。それをやったー!金入ったー!っていう適当な感情で安易に受け取っていた自分。
ただ単に餌をもらって喜んでいる犬猫と一緒かよ!って。
自分が恥ずかしかった。
そして、情けなかった。
そのことを20年以上立った今でも鮮明に記憶しています。
お金は大事に使う・貯める or 財産は自分が生きているうちに処分しよう
高齢になりつつある両親60~70歳以上の世代やお年寄りの方に向けて、あげる側へのお願いっていうのもちょっと追加して書きました。
お金を貰うことの本当の意味。 それを分かって、ありがたく受け取って 大事に使って欲しいと思ってこれを書きました。
残念な事に、大人になってもそれに気がつかずに、「ありがとうぅぅぅ♪」(ニンマリ)ってなっているだけの人が多いよなって思います。ただの損得感情だけで考えて、強欲に動くバカのことね。
もうちょっとその先のこと、周囲のこと、本当に意味のあること、それに至るまでの苦労や背景を考えられる大人が少ないなっと。ちょっと上から目線な言い方だけども、これが事実と思う。財産分与とかで自分なんにもやってないし、お前らいつ都合のいいときだけ表に出てくるやつはその傾向が強いね。
ま、殴り書きしましたが簡単に言うとこーゆーこと。
▶貰う側の心得
- それに至るまでの背景や苦労や意味を考えて、心から感謝しましょう
- ありがたく意味ある使い方をするか、必要な分を貯めておきましょう
- 遠慮なく貰ってもいいけど、その分顔を見せに行くとか何か返しましょう
- 自分も将来若い世代にはそうしてあげましょう。
▶あげる側の心得
- かわいそうな時代になりましたので、信頼のおける子供や孫にだけでいいので託してください
- 残しておいても天国には持っていけないので、財産は早く処分してください。
- 残したまま死ぬと残されたものが本っっっっっっっ当に面倒だし苦労します
↑の結論はお年玉に限らずの話になってしまっていますが、大きく解釈するとまあこんな感じです。
お金とかぶっちゃけ残しておいても仕方がないので遠慮なくもらっていいと思うけど、無駄に使っちゃダメよっていうことなんです。
ただ、バカッターみたいな阿呆なやつにあげてもギャンブルに使ったり●●に使ったりしてしまうのが落ちなので、そんなやつには可愛い娘や息子、孫でもあげても意味はないので、どこかに寄付してくださいって本気で思っています。
こないだ実家によった時に、親父が遺産相続の本を読んでいました。あぁ、もうそんな歳カーなんて思いましたけども、そんな所に気がつくような親ではないのでほんのちょっとだけ関心しました。んで、思ったことがこれ↓。
財産は生きているうちに、とっとと処分してください。ってこと。
それはなんでかっていうと、死んでしまうと名義の方の銀行からお金出せなくなって、ムチャムチャ面倒です。土地やら不動産とかも名義人が死んだらその息子・娘の印鑑やら手続きやらがクソ面倒です。ありえないくらい面倒です。大事なので繰り返し言いました。遠方に住んでいたらもう最悪なんで、生前に少しずつ整理を。
あと、お金もかかってきます。
それだけじゃない。
生前にキッチリしておかないと、残された息子・娘で血肉の争いが起こることが多いです。実際、現在うちがそうです。
土地だったらわけられても、どうやってわける?俺はあっち半分がいいとかモメます。まだ価値のある土地だったらいいけど、価値のない土地なんかは遺産じゃなくて負債なので、これまたイラナイ者のなすりつけあいになるわけで。
そんな感じになるので、あげる側・貰う側もそれなりの心と環境の準備が必要です。
そんなわけで嫁さんが出かけるのにブログ書いてて出かけられないって、青筋立ててブチ切れているのでこのへんで。そいじゃーねー!
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